1. 世界と向き合うために(2010)
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2. With in 10km of mine(2006)
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3. With in 10km of mine(2005)
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4. With in 10km of mine(2004)
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「世界と向き合うために」個展プレスリリース(杉田 敦. art & riverbank. 2010)

向後兼一の新作“世界と向き合うために”は、東京国立近代美術館で開催された『写真の現在3:臨界をめぐる6つの試論』以来のまとまった展示となります。工事現場や病院など、特定のモチーフに単純な画像処理を施すという従来からの手法を敷衍しつつ、これまでよりも整理された印象のイメージは、その背後に、私たちが生きている世界におけるイメージの在り方そのものについての疑問を浮上させることになります。
向後の手でチープなエフェクトを施された画像群は、そもそもイメージはそういう加工されたものに過ぎないという思いを強めることになります。現代人を取り巻いている種々のイメージが、完全に無垢な状態だという保証はなにもありません。いやむしろ、人間の手で加工されていないなどという可能性はあるのでしょうか。20世紀中頃、ギー・ドゥボールが看破したように、わたしたちは、イメージが伝える<現実>に取り囲まれ、まさに映画館の観衆のように、何も具体的な行動を起こせないように、ただただ深々とアームチェアーに身を沈ませるように強いられてきました。もちろん、<現実>からそうやって遠ざけられてしまうことも問題には違いないのですが、しかも、それらのイメージが、あまねく巧妙に手を加えられ、操作されたものだとしたらどうでしょうか。向後が投げかける疑問は決して小さくありません。
しかもさらには、私たちもまたそうした事態に手を貸しているのかもしれないのです。前作の展示に際し、希代の視覚生理学者、J.J.ギブソンを引きながら、「わたしたちは世界と対峙したとき、何でもかんでもそれを取り込みたくてうずうずしているのかもしれません。そしてまた、とりこんだ画像を、さしたる目的もなく、加工してみたくて我慢できないのでいるのかもしれません」と解説したのはそのためです。そうした見方が、穿ち過ぎた見方でないことは、Webに充満する、アノニムな映像や画像が物語ってくれます。イメージに対する加工や操作が、あっけなく露出した印象の向後の新作は、いままで以上に、観衆がまさに自身が耽溺するスペクタクルを生み出していることを示しているのかもしれません。そうした現実と向き合うこと。スペクタクルに対する能動性を取り戻すための方針は、ギー・ドゥボールの時代とは異なるはずです。眼前のイメージを巡る現実と向き合うことが、世界と向き合うことに接続していくことになるのかもしれません。

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「写真の現在3 臨界をめぐる6つの試論」展覧会カタログテキスト(増田 玲. 東京国立近代美術館. 2006)

向後兼一は、より人為的な環境において、写真イメージをめぐるきわめて今日的な問題を提起する。
向後がこれまでに発表してきた作品は、いずれも何らかの画像操作を加えることで成立している。「within 10km of mine」というタイトルを素直に受けとるならば、この同じタイトルのもとに発表されてきたいくつかのシリーズは、いずれも彼自身の生活圏内で撮影されたイメージをもとにしていることになる。実際、室内もあれば屋外もあるそれらの光景は、東京の郊外ならばどこでも見かけるような、ありふれた何の変哲もない場所であり、光景だ。
向後はそうした身近な光景に、たとえば画像の一部をブレさせる《blur》、いくつかの画像を重ねる《pile》、画像の縦横の比率を変化させ、圧縮もしくは伸展させながら、その一部を色面に置換する《line》といった加工を行う。それは一見分からないような画像処理によって架空の光景をリアルに出現させるといったタイプの操作ではなく、むしろデジタルな加工が行われていることが、一目で分かるようなタイプの操作である。
向後がこれまで好んでとりあげてきた被写体として病院と工事現場がある。そして今回の出品作では住宅の室内にレンズが向けられている。室内は好みの家具調度によって任意の空間を作りあげるという意味で、工事現場はもう少し大掛かりに、整地や地盤工事をした上に宅地なり道路なりを建設するという意味で、人為が環境を自らに都合のいいように、意識的に成形している場所といえよう。そして病院とは、人体に操作が加えられる場所だ。そしてそれらを被写体とする写真もまた、向後の作品においては、まるでそうすることが自然であるかのように、操作の対象となる。
今日、ありとあらゆるデジタルイメージが私たちが生きる環境の一部と化している。だれもがそうしたイメージをつくりだす装置を携帯すらしているのだ。ならば、それらのイメージもまた、気軽に改変されて当然だし、そうした加工済みのイメージによって、私たちにとってのリアルな世界はつくられているのかもしれない。住み心地の良いように部屋を模様替えするように、あるいは自然の地形を改変するように、また、身体そのものに人為的な治療が施されることで、より良い「生」が手に入れられているように、私たちをとりまく身近な環境と化したイメージは、操作されることで、むしろリアルでなじみのある光景として現れてくるのだ。

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「日常と非日常すれすれの世界」雑誌フォトグラフィカ No.5/Mdn出版(竹内 万里子. 2006)

イメージが部分的にぼやかされたり、圧縮されたりすることにより、まずイメージの表面性そのものが強く意識される。そして「見えること」と「見えないこと」の微細な差異が浮かび上がってくる。そのモチーフがいずれも、どこにでもありそうな身近な光景に見えるが、しかし「デジタル・エイジ」のいま、むしろこうした身近な光景や生活こそが、ふとしたきっかけでこのような姿に変貌してしまう可能性を持っていると言えないだろうか。

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向後兼一

1979  東京生まれ
2001  和光大学人文学部文学科卒業
2003  東京綜合写真専門学校卒業

[個展]
2004  within 10km of mine、 art & riverbank、 東京
2005  within 10km of mine、 art & riverbank、 東京
2010  世界と向き合うために、 art & riverbank、 東京

[グループ展]
2005  サイトグラフィックス 現代写真の母型、川崎市市民ミュージアム、神奈川
2005  Site-seeing、art & riverbank、 東京
2005  screaming video screening、gallery Archipelago、東京
2006  写真の現在3 臨海をめぐる6つの試論、東京国立近代美術館、東京

[コレクション]
東京国立近代美術館、東京

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・art & riverbank http://www.art-and-river-bank.net/
・東京国立近代美術館 http://www.momat.go.jp
・川崎市市民ミュージアム http://www.kawasaki-museum.jp/
・KAZUYA KONDO INC. http://www.kazuyakondo.com/
・広告(博報堂) http://www.kohkoku.jp/

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